心の余白帖 | セルフラブを見つめ直す、誕生日のひととき
- Sakura Nimura
- 2024年10月26日
- 読了時間: 3分
更新日:5月1日

いくつになっても、お誕生日はやっぱり嬉しいものです。
誰かが私のことを思ってメッセージをくれる。それだけでも十分にありがたいのに、目覚めた瞬間にふと込み上げてくる「この年まで生きてこられたんだなあ…」という、ちょっと不思議な感動もあります。
お誕生日でなければ、自分が「自分として何年生きてきたのか」なんて思いにふけることもなかなかありません。自然と、産み育ててくれた両親への感謝の気持ちも湧いてきます。
今朝は朝からのんびり愛犬と近所を散歩して、ゆったりとした時間を自分にプレゼントしました。
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今年のお誕生日は、いつも以上に「セルフラブ(自己愛)」について考える時間となりました。
きっかけは、戸棚の奥から出てきた古いデジカメです。存在すら忘れていたそのカメラの中には、約15年前の写真が残っていました。
そこに写っていた自分は、自分で言うのもなんですが、とても若くて輝いて見えました。まるで、年配の方が小さい子供を見つめるかのような、微笑ましい気持ちにさせてくれる、若い自分が映った写真たち。
でも驚きとともに思い出されたのは、その日の自分が、どんな気持ちでいたかということでした。
当時の私は、自分の外見やスキルなどの、自分に関するあらゆることに対して不完全さばかりを感じていました。旅先で撮ったその写真も、自分の映りがかなりイマイチで、「あとで消そう」と思っていた記憶があります。
でも今、年を重ねた私の目には、その頃の自分がまぶしいほどに輝いて見えます。いったい、当時に私は自分のどこがそんなにイヤだったのだろう?当時考えていたことをなんとなく思い出すことができますが、でもそれすらも、現在の私からは納得のいかない、理不尽なことだと感じずにいられませんでした。
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きっと多くの人が、外からの声や「社会的な理想像」に影響されて、自分に厳しい声をかけています。
失敗や間違いを恐れる気持ちは、他人から批判されたくない気持ちからくることが多いものですが、でも自分自身を最も強く批判しているのは、ときに自分自身だったりします。
いつの間にか身についてしまった自己批判の声と折り合いをつけながら、何とか毎日を生きる日々。そんな状態にある人も、いらっしゃるのではないでしょうか。
年を重ねて、さまざまな経験や学びを経て、今でこそ、「不完全さこそが、その人の個性で美しさ」なのだと思えるようになってきました。
でも、当時の私はその不完全さを「個性」や「可能性を秘めた余白」と捉えることができずに、「中途半端」と捉えていたようです。さまざまな可能性に満ちていた自分の姿を、そんなネガティブで厳しい目でしか見られなかったことは、振り返ると本当にもったいと思いますし、自分に対して申し訳ないなとすら感じます。
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さて、未来の私は、いつか今日の私を思い出す時、どんなことを感じるのでしょうか。
もうすでに、ミドルエイジになり年を取ったなぁ、なんて感じている今の私ですが、でも未来の自分にはまだまだ若い自分、と映ることでしょう。
未来の自分が今日の自分に誇りを感じられるように、自分の個性を大切に、自分自身にリスペクトを持って親切に接していきたいなぁと、昔の写真を見ながらしんみりと感じました。
そんな感じで過ごした誕生日。
あなたは誕生日に、どんなことを願い、どんなことを自分にしてあげたいと思いますか?
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